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旧東海道7(豊橋から知立)-4 <藤川宿>

<藤川宿から岡崎宿へ>(6.6km)

 

(前)<赤坂宿から藤川宿へ>http://yamakazeoto.jugem.jp/?eid=197

藤川宿は、江戸から数えての三十八番目の宿場である。
約1kmにもわたる長い宿場町で、塩の道「吉良街道」に通じる交通の要所でもあった。また安永元年の疫病で人口の1/3も病死するという大騒動があった宿でもある。

規模は、本陣と脇本陣各1軒、旅籠屋(はたごや)36軒


広重の 藤川

是西 藤川宿----高札場跡----問屋場跡----本陣跡----西棒鼻----一里塚----吉良道標----藤川の松並木

 

 

東棒鼻跡に是西 藤川宿の木柱が立っている。いよいよ藤川宿に入った。


この宿場の入り口も直角に曲がる道曲手(かねんて)で始まる。
棒鼻から直進して行きT字路を右に曲がり、先ほど別れた舗装道路に出て左折して進む。このように道を意識的に曲げてあるのは外敵から宿町を守るためといわれ、曲手(かんねんて)と呼ばれている。


そのまま200m程行くと、高札場跡問屋場跡と続く。


ここで目についたのが、左にひときは目立つ高層の白壁の建物があった。そこには人形処とあった。


問屋場跡


一際目立つ白い高層の建物 人形処 昭和63年に第1回岡崎都市景観環境賞を受賞されたということです。

100m先には、本陣跡がある。その先の東海道標識 藤川宿には「江戸まで78里、京まで48里」とあった。随分歩いてきたな〜と実感!!


更に200m弱すすめば、西棒鼻で藤川宿の西入口になる(藤川宿が終わる)




本陣跡

 

西棒鼻で藤川宿を後にすると、その直ぐ少し先に藤川宿一里塚がある。この先に吉良道道標(きらみちみちしるべ)があった。
ここが旧東海道と吉良道の分岐点で、左の道が、吉良(現・幡豆郡吉良町)方面へ出る道です。

 

吉良街道は吉良の塩を信州に運ぶ塩の道として重要な脇往還で、藤川は東海道だけではなく吉良街道も通る交通の要衡だったのです。

この後は、綺麗に手入れされた藤川の松並木が続く。松並木は旅人には夏の木陰を提供し、冬は防風林となった。

松並木がおわると国道1号に合流して800mぐらい先を左の細い道に入る。


藤川の一里塚
ここの記録によると 「此宿より岡崎宿迄之間 壱里塚弐ヶ所 壱ヶ所 木立 左無之 右 榎 但、左右之塚共 藤川宿地内」と記してある。


吉良道道標

藤川の松並木

長さ約1キロの間に樹囲約2m、樹高約30mのものを含めて、およそ90本のクロマツが街道脇に並んでいます。

 

道は、乙川にぶつかるので右折して大平橋を渡り、国道1号線に沿ってちょっと歩いて行くと、小川があり、そこから左折して旧東海道へ戻る。



大平橋----薬師寺----つくてみち道標----大岡越前守陣屋跡----太平一里塚

 


さらに国道1号を横断して大平町に入ると、直ぐに薬師寺がありその先に不思議なつくてみちの道標があった。

 

左へとカーブを切りながら旧街道をそのまま進んで行くと、西大平藩陣屋跡の案内が置かれています。郵便局の角を100mほど右へ入って行くと前方に白壁と復元された立派な陣屋の門構え(高麗門)がある。
これが、大岡越前守陣屋跡である。かの有名な大岡越前の屋敷と知り、寄り道してゆっくり見て回った。


旧東海道に戻ると100m程先の左手に江戸から数えて八十番目となる太平一里塚(たいへいいちりつか)がある。


つくてみち 道標
右面に「東海道」左面に「つくて道」と刻まれている


大岡越前守陣屋跡
「大岡裁き」で名高い大岡越前守は、八代将軍徳川吉宗時代、江戸の名町奉行と評判だった。当時は旗本であったが、1736(元文元)年72歳で1万石の大名となって西大平藩主として、ここに陣屋を置いた。陣屋は明治維新によって廃止されましたが、藩主をしたう旧藩士や領民から、陣屋跡を保存すると同時に、旧藩主に東京から移住を願う声があがり、大岡家別邸として復活した。(説明板には日本語以外にも英語、中国語、スペイン語(?)で書かれていた)


太平一里塚跡
原型をよくとどめている南塚で、高さ2.4m、底部は縦7.3m横8.5mの菱形で、塚の中央にある榎は昭和28年に植替えかえられたもの。


旧街道は左へとカーブをきり、その先で再び国道1号線に合流する。そして道はこの先の東名高速によって分断されますが、インターチェンジ入口の下をくぐって向こう側へと進んでいく。道筋は再び国道1号線としばしば合流しながら進み右手の細い道筋へと逸れ、岡崎の城下へと入っていくことになる。


左側に冠木門岡崎二十七曲りの石碑が置かれていた。この場所が岡崎藩5万石の城下の入口であり、岡崎の宿場町の東の出入口です。





(つづく)<岡崎宿から池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)へ>http://yamakazeoto.jugem.jp/?eid=179

 


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