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旧東海道4(富士から静岡) −1

2018年12月1日(土曜日)  晴れ

旧東海道歩きも4回目で、JR富士駅からJR静岡駅まで 𠮷原宿から蒲原宿、由比宿、興津宿、江尻宿、府中宿 の5宿場を1日で歩くことにした。


距離 43.3km 高低差 103m  11:07:47
真中の高いところが薩埵峠

吉原宿から蒲原宿へ>(11.1km)


JR富士駅を出発(7:30)すると富士山が街並みの向こうに大きくそびえ立っていた。

前回終了した吉原宿本陣跡の角から今日はスタート。
旧東海道に入ると直ぐに札の辻の石柱(昔の高札場跡---幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のこと)を見つける。

そのまま進み「間の宿 本市場」の標識のさきにある、身延線の柚木駅のガードをくぐり、分岐を左に行くと「左東海道の道標と秋葉山常夜燈」がある。
この先にも街道筋には要所要所に秋葉山の常夜灯がある。



左東海道の道標と慶応元年に建立された古い秋葉山常夜燈

この先は、富士川を渡る。川の手前には、富士川渡船の安全を祈願する松岡水神社渡船場跡の碑がある。
富士川は天下に聞こえた急流で水量も多く満水時には渡しも止められた、徳川家康の交通政策で、渡るには船を利用するしかなかった。


水神の森にある渡船場跡の碑と右には富士山道の碑が立っている


今は、立派な鉄橋の脇を歩いて渡ることが出来る。橋の中央からの富士山の眺めも素晴らしかった。

橋を渡った先は、眼下に富士川を見ながら坂を登り突き当りの常夜燈を左に行くと、「岩淵の一里塚」がある。


江戸より37里の岩淵の一里塚

一里塚を右に曲がり道なりに進み郵便局の手前でまた右に曲がり緩い坂を上ると東名高速道路のガード下をくぐると正面に大きな野田山不動明王の石碑があり、ここを左に行くと旧東海道でさらに下り坂を歩いてJR新幹線の線路を潜り、少しの登り坂を行き東名高速を横断すると蒲原宿になる


とても大きな>「野田山不動明王 聖徳太子 弘法大師」と書かれた道標と「薬師如来」と書かれた石碑




蒲原宿から由比宿へ>(5.4km)

東名高速を超えて坂を下りJRの線路脇に出るといよいよ蒲原宿に入ることになる。
線路に出て間もなく江戸から38番目の蒲原の一里塚が現れる。この少し先が蒲原宿の東木戸であり西木戸までの木の内には、旧民家も沢山保存され、史跡類も多く宿場町の面影を感じられる街道だ。



蒲原宿の一里塚 が最初に現れる


蒲原夜之雪の記念碑  蒲原夜之雪の絵は、歌川広重が1832年(天保3年)に京へ上った折、この地で描いたもので東海道53次シリーズの中で最高の傑作といわれている。昭和35年にはこの絵が国際文通週間の切手になった。


街道時代を彷彿される「お休み処」


国登録文化財 旧五十嵐歯科医院  五十嵐準氏が地元蒲原に歯科を開業するにあたり大正3年(1914)に建てた病院併用住宅。1階は家族のプライベート用に、2階は診察室や待合室として使用されていたという。


蒲原宿西木戸跡石柱と茄子屋の辻
青木の茶屋(茄子屋)があり、茄子屋の辻で乱闘事件があった。1653年(承応2年)高松藩の槍の名人大久保甚太夫が江戸へ行く途中、薩摩藩の大名行列と出会い、槍の穂先が相手の槍に触れたことで口論となり、大名行列と乱闘が始まり、大久保は70人近く倒したが、追っ手に見つかり討たれてしまった。当時の竜雲寺の住職が亡骸を墓地に埋め供養した。竜雲寺には大久保の槍の穂先は寺宝となって残されているという。

蒲原宿の西木戸からは、淡々と左手にJR東海道本線を見ながら平坦な道を、真っ直ぐ西へ進む。約2.3km歩くと東名高速のガード下をくぐり、由比宿へ入る







(つづく)

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