旧中原街道を歩く

2014年7月19日-20日 曇り


街道終点の碑は、小学校の門の横にありました。
中原街道(なかはらかいどう)は、中世以前から続く古道で、徳川家康によって、江戸時代の東海道が整備されるまでは東海道の一部としても機能していた。東海道整備後は、江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ脇街道とされる。中原街道の名称は、平塚の中原御殿から由来される。別称として、相州街道・お酢街道・江戸間道・小杉道・こやし街道などがある。(by Wikipedia)

1590年に徳川家康が江戸入りした際もこの街道を利用したと言われる「中原街道」の起点から終点までを一気に歩くことにした。この時期昼は、熱中症の危険があるのでスタートは、16:00です。

中原街道の起点は、虎ノ門ですが、やはり日本の道路の起点は日本橋です。日本橋から真っ直ぐに銀座を抜け新橋で右折して虎ノ門まで。

さて、いよいよ中原街道に入ります。地下鉄「虎ノ門」の出口にトラの像があると聞いてたが、見つからなかった。
東京タワーを左手に見て赤羽橋を過ぎると、何やら騒がしい。三田祭りで道路は人があふれている。祭りにまぎれゆっくり早めの夕食タイムとしたが、ここでゆっくりし過ぎたため予定がずいぶん狂ってしまった。



三田祭り すごい人出!賑わっています

祭り会場からすぐ右に入り、伊皿子交差点の少し先には、赤穂義士が切腹した場所である「大石良雄外16人忠烈の跡」がある。高輪プリンスホテルの手前を右折して国道1号と合流し五反田駅に向かう。
五反田駅からは、旧中原街道に入り丸子橋を目指す。


電柱の標識 もう暗くなりました。

戸越地蔵尊(旧中原街道供養塔群)戸越村などの民間信仰を伝えるもの

中原口から旧道に入る頃には、暗くなり平塚橋の交差点で中原街道に合流する。
昭和大病院前交差点から再び旧道に入る。旧道の方が自然な道なりに感じるが家が建ちこみ旧道のイメージはない。

再び中原街道に戻り、南千束を過ぎると右手に洗足池がみえる。呑川を渡る手前には、雪ヶ谷村の浄心ら6名が本願主となって、石橋の安泰を祈って建てた供養塔があったはずだが見落とした。

環状8号の陸橋をくぐり、田園調布警察前を横断して、旧道は左斜め前に入って急坂を下って行く。しばらく行くと、切り通しのような所に特徴的な赤い歩道橋が見えてくる。ここが「福山雅治」の曲にうたわれて有名になった。「桜坂」というスポット。そのまま土手まで行き「丸子橋」を渡れば、川崎だ。



 有名な 桜坂

丸小橋 昭和10年に開通されるまでは「渡し」であった

丸小橋を渡ると、綱島街道は横浜にむかい左に、中原街道は右に行く。東横線のガードをくぐりしばらくすると立派な「長屋門」の家がある。これが、先祖が後北条氏の家臣で、江戸時代はこのあたりの名主の安藤家らしい。

道が、左折し右折するこれを「カギの道」と呼ばれているそうだ。この辺りが「小杉の宿駅」だった。
小杉十字路を横断すると、「泉沢寺」がある。この寺の夏の市は冬の世田谷の「ボロ市」と並んで良く知られていたという。


泉沢寺の標識

南武線武蔵中原駅のガードをくぐり、野川を目指す。旧道は、この辺りでアップダウンが急でキツイ!一休み。遠くに高層住宅群の明かりが見える。港北ニュータウンだったらしい。

やがて前方に第三京浜が見えてきて、トンネルを潜ると旧道は「道中坂下交差点」で右に入る。さらにその先の向坂信号でまた右へ入って行く。途中右手のの石垣の上に「のちめ不動尊」が鎮座する。

再び新道と合流すると右手に立派な家がある。これが「関家住宅」で、江戸時代には代々名主を勤めていたという家柄で、建物は東日本最古の民家として、国の重要文化財指定となっている。

港北ニュータウンを抜けて佐江戸に向かう。向原交差点を右折し「大塚原交差点」で左折する。この先がずーとゆるい登坂になって、東方原あたりが頂上となり、下り坂が始まる。これから先の街道は尾根と谷を通過しているらしく、アップダウンの道が続くこととなる。「山王前」で道は二股になっているが、旧道はそのまま直進して行く。

間もなく「佐江戸」の交差点を過ぎる。佐江戸は中原街道の宿駅になっていた所で、馬の継ぎ立てを行ったそうだ。 しばらく行って、「地蔵尊前」を右折し鶴見川を渡り、次は、都岡町を目指す。



落合橋

「宮の下交差点」を過ぎると、長坂という名にふさわしくなだらかな長〜い上り坂が続く。右側には「四季の森公園」という広い公園が広がっている。その先に「横浜ズーラシア」という動物園がある。ようやく下りになると、都岡に至る。

保土ヶ谷バイパスをくぐってからの旧道は左の階段を上がって行く。まだ真夜中でちょっと怖い。住宅街の外側を縫うように歩くと、「旧中原街道」の標識がある。やがて「西部病院入口」で県道45号線と合流する。

後は45号をひたすら真っ直ぐ厚木飛行場へと歩く。相鉄線を地下道でくぐり、境川を新道大橋で渡ると大和市になる。更に小田急の「桜ケ丘駅」を超えるとようやく、厚木飛行場に着く。代官1丁目の交差点で現在の中原街道は左の方に曲っているが、右折する方が旧道と思われる。(新道に導かれてしまった)。夜が明けてきた。



厚木飛行場
第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官マッカーサーが降り立ったことで知られる。

綾瀬大橋入口交差点で左折し早川に向かう。この先東海道新幹線を潜ると間もなく、用田になる。用田の辻を渡った右角には、道標と不動明王が乗った碑がある。


用田の道標

用田からは、真っ直ぐな道が続き大蔵のバス停を過ぎて、日産工機のフェンス沿いを歩き、道なりに左折して行く。 本来は、「右に寒川小学校を見ながら、 寒川町公民館前の信号をを越える。目の前の二股道を右に行き、送電線の鉄塔をを左に坂を下ると、中原街道の案内板が立っていて、この道が中原街道と確認することが出来る。」そうだが道に迷ってしまい寒川駅に出てしまった。寒川駅の前の41号を進み、相模川を神川橋で渡ると平塚になる。ゴールはもう一息!


除夜の鐘で有名な 寒川神社 の脇を通る


神川橋 橋の向こうが平塚

相模川を渡り、旧田村十字路(田村の辻)を左折するとゴールの中原御殿(中原宿)に向かいひたすら斜めに歩く。 広い県道61号線を横断すると、歩道上植込みに「中原上宿遺跡」の記念碑がある。中原御殿跡は中原小学校にあると聞いていたので小学校を目指すと、色々標識が現れた。

ようやく昼前に終点に着きました。









この中原街道は起伏が多くて昔の人々も大変だったろうと思います。現在も重要な幹線として使用されているため道筋には近代的家が多く建ち、旧道の様子も消えていきそうな感じがしました。



(完)










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